時間を守らない人が、どの年代にもいます。中高生もそうです。
講師が以前に勤めていた学習塾では、夏期講習や冬期講習の開始が朝9時でした。本来ならば生徒は、それよりも早めに来て、9時ちょうどにはペンを握っているのが勉強する姿勢というものです。しかし9時ちょうどに教室に入ってくる生徒はましなほうで、3、4分、ときには10分以上たってから、何の悪びれるようすもなく、堂々と入ってくる生徒もいました。
当時は大きい声で怒鳴りつけたり、9時ちょうどにドアの鍵を閉めて入室させなかったり、時間に遅れることは意欲に欠けているからだと厳しく説教したりしたものです。
何も感じなければ、変わらない
しかし、2012年春に論塾を開いてからは、そのような対応を完全にやめました。もちろん、学習する姿勢として、時間を守りなさいという指導は常にしています。しかし、遅れるたびに毎回注意するというのは一切やめました。
なぜ、そのような指導をやめたのでしょうか? 答えは簡単。何の効果もないからです。
時間を守りなさいと、どんなに強い言い方で指導しても、たとえ口頭で気をつけますと言わせても、そのような生徒は次回も必ず遅刻してきます。たまに遅れないようになる場合もあります。ただし、その大半が、「先生に怒られるから」というのが本人の弁。結局は、自分の意思で改善したわけではないのです。
変わらないから、自滅する
学校はもちろん、学習塾や家庭のなかでも、先生や講師、親というのは多くの場合において、強権的な立場にあります。それに対し、生徒や子どもは支配される立場にあることが多い。つまり上下関係がはっきりしていて、しかも絶対に逆転することはありません。
それにも関わらず、大人の言うことに対して、耳を傾けず行動しない子どもは、自滅の一途をたどります。かつての塾では、遅刻を繰り返したり、忘れ物が減らなかったりした生徒は、まず例外なく第一志望に不合格になりました。都立高校にとりあえず合格しても、実は成績が伸びず当初の志望校をあきらめた生徒でした。
「素直」と「従順」は違う
では、大人に言われたからと、そのことを行動に移す生徒を単純に「素直だ」と考えるのはちょっと安易です。ただ大人に服従しているだけかもしれません。いわば奴隷です。飼い犬といってもいいでしょう。「素直」と「従順」は異なるのです。「先生に言われたから」「親に怒られるから」という言葉が裏付けしています。
そのような生徒は、高校受験に合格するまでは、とても大人しく勤勉です。しかし受験が終わったとたんに気持ちが緩みます。高校に入学した後は、だれも言ってくれなくなるので、結局は何もしなくなります。
怠け者には何もできない
なかには、大人が何もいわない、指示しないからと、それをいいことに何も行動しない子どももいます。それを怠け者といいます。本当に必要なこと、いまやるべきことを先送りにして、目先の楽しいこと、ラクなことを優先するのであれば、もはや手の差し伸べようもありません。そのような子どもが入塾を希望しても、論塾はお断りしています。
自分で考え、行動せよ
大人が何もいわなくても、まず自分の頭で考える。そして行動する。それを本当の「自立」といいます。
たとえば塾の時間に遅れてしまったとします。そのとき、遅刻したことで、二度と取り返しがつかない時間を無駄にしてしまった、次は部活の片づけをどんどん済ませて、早めに帰宅しよう、と自分の頭で考えるのです。そして改善策を考えて、実行してみる。ときにはうまくいかないこともあります。だったら別の工夫をしてみればいい。そのような試行錯誤のなかから、子どもの自立心や自主性が育っていくのです。
自立心を育てるために
怒りにまかせ、力尽くで押さえつけて、大人が子どもに言うことを聞かせるのは簡単です。しかし、それでは奴隷や飼い犬に対する方法と何ら変わりません。そこで大人はまず、ぐっと我慢するしかない。論塾では、塾生がみずから気づき、行動するよう、さまざまな声かけをしたり、働きかけをしたりします。決して見放すことはありません。塾生の自立心や自主性を信じて、問いかけ、語りかけをしています。