論塾が理想として思い描いているのは、緒方洪庵の『適塾(てきじゅく)』です。

適塾とは江戸時代末期に、医者として知られる緒方洪庵が、大阪に開いた蘭学の私塾です。全国から3,000人を超える門人が集まり、近代陸軍をつくった大村益次郎や慶応義塾をつくった福沢諭吉など、幕末から明治維新にかけて活躍した多くの人材を輩出しました。

適塾は自学自習が基本。洪庵はあれこれ教えません。また塾生も教えてもらうことを期待していません。ただ、その猛烈な勉強ぶりは後世に伝えられるところです。

 …塾で修業するのはどういうやり方であったかというと、まず初めて塾に入門した者は何も知らない。何も知らない者にどうして教えるかというと、そのとき江戸で出版されていたオランダの文法書が二冊ある。
ひとつを『ガランマチカ』といい、一を『セインタキス』という。初学の者には、まずそのガランマチカを教え、読み方を教える一方で、講釈もして聞かせる。これを一冊読み終わるとセインタキスをまたその通りにして教える。

どうやらこうやら二冊の文法書がわかるようになったところで会読させる。会読というのは、生徒が十人なら十人、十五人なら十五人に会頭を一人決めて、その会頭が読んだ内容を説明するのを聞いていて、出来不出来によって白丸を付けたり黒丸を付けたりするという趣向だ。そこで文法書二冊の読み方もすめば講釈もすみ会読もできるようになると、それから以上はもっぱらそれぞれ自身の研究にまかせることにして、会読本でわからないところについては、一字半句も他人に質問するを許さず、また質問を試みるような卑劣な者もない。

福澤 諭吉(著), 齋藤 孝(翻訳)『現代語訳 福翁自伝』ちくま新書、2011年

あこがれを抱くことから、人間は向上しはじめます。論塾は、『適塾』を目指しています。