緊急事態宣言のもとでも、論塾は小中高生たちと一緒に勉強を続けてきました。ガイドラインに沿った感染防止策を整え、生活リズムを保つことを第一に、昼間に授業を設定しました。また、授業以外でも自立学習できる時間を毎日用意することで、3か月の間、一切休講することなく学習を継続してきたのです。
よって論塾生は、学習カリキュラムの遅れが一切ありません。むしろ例年よりも先行しています。子どもたちは時間にも体力にも余裕があったので、テキスト演習やプリント演習など、自主的に勉強する時間が増えた結果、習熟度も例年以上です。
たしかに休校は厳しかった
現実に、小中高生たちは3か月にわたる休校を強いられました。その3か月間、論塾生のように生活リズム・学習リズムを保ちながら過ごせた子どももいれば、論塾のまわりの学習塾のように1か月以上休みとなり、大量の宿題だけが課されて放置されてしまった子どももいます。
また、Zoomなどを活用した双方向のオンライン授業を受けることができる中高生もいれば、何の工夫も分かりやすさもない一方通行のYoutube授業を課された中高生もいます。市販の問題集をコピー・印刷したプリントだけが配布され提出させられた中高生もいました。
今回のような未曾有の状況において、誰もが戸惑うのは当然のことです。ただ、この3か月の子どもたちの様子を見ていて、生活リズムを保てたかどうか、学習面に心配はないか、受験に間に合うかどうかなど、「休校の明暗を分けたものは何か?」と問うならば、子どもたちが自ら学ぼうとする意欲と実践にかかっていると考えます。
オンライン授業は最上の解決法ではない
実は論塾生が通学している中学校・高校でも、オンライン授業を実施していたところが複数あります。しかし、その反応は、決して良いとは言えません。教諭や同級生の顔が画面上に見えて、音声なりチャットでコミュニケーションが取れても、やはり本来の対面授業の代わりにはなりません。あくまでも補助手段でしかない。
タブレットであれスマホであれ、画面を直視しているのは疲れる一方で、板書代わりのスライド画像やレジュメがあれば、ノートを取る必要すら感じません。ある中学校のYoutube動画では、教諭がユーチューバー並みのパフォーマンスをしようとして学習内容がさらに薄っぺらくなっているとか。また生徒不在の教室で1人録画をしている授業だと、教科書を教諭が音読しているだけで、何も言葉が伝わってこないというのです。
オンライン授業で、学習内容をただの「情報」として受け止めるだけであれば、理解にも学力にも全くつながりません。自分から授業に参加し、それをきっかけに自ら考え、自分の言葉で語り直し、覚えるための実践をしたり、問題を繰り返し解いたりすることで、初めて『学ぶ』と言えるのではないでしょうか。
論塾は、こんなトレーニングをしている
論塾では、例えば中学1年生の最初の授業から、目と耳と手をすべて連動させ、ノートを取っていくトレーニングをします。学校のように板書を単に書き写しているだけでは勉強しているとはいえないのです。
- 文字でも記号でも絵でも構わない。手を動かし続けること。
- 文章を書こうとするより、短い文で箇条書きせよ。
- キレイに枠で囲むより、矢印で欄外に導いてメモを取ればいい。
- 講師が声を大きくしたのは強調したいから。
- 同じ語句を繰り返しているのは書き取ってもらいたいから。
- 講師が「○○とは……」「●●したら、次は……」と言い始めたら、塾生は頭の中で、講師は次に何を言うのか、次はどんな手順で解き進んでいくのかを予測し、考えたり、出し抜いたりせよ。
このような学習姿勢と方法は、一朝一夕には身につきません。だから中学1年生の最初の授業からトレーニングするのです。
同じように、テキストの例題や、学習プリントの解説ページなども、ただ目で文字を追うだけでなく、
- この1問から自分は何を身につけるのか。
- 設問を用意した人は、自分に何を身につけて欲しくて、このような出題をしたのか。
- 模範解答や解説を書いた人は、どのような発想と視点で、このような解答に至ったのか。
といったことを徹底的に考え、それらを言葉にしたり、図解したりせよと教えています。
「勉強の遅れ? 心配していないです」
論塾は、全国一斉休校になった2月末から、緊急事態宣言が解除された5月末までの3か月間、1コマも授業を休むことなく(むしろ受講料はそのままに授業時間数は増)、そして平常よりも自立学習の時間数を多く確保したうえで、小中高生と一緒に勉強してきました。
塾生たちはキッパリ答えます。
「学校が再開されるのは嬉しい」
「少なくとも、自分の勉強は遅れていない。何も心配していません」
「むしろ『自分の勉強』をする時間が減ってしまうのが不安……」